episode 01人や物の輸送は鉄道の独壇場であった。

田中清一が列島縦貫自動車道を構想し始めた昭和12年ごろ、人や物の輸送は鉄道の独壇場でした。

一方、道路といえば、重要な国道ですらほとんど未舗装の状態で、昭和11年の国産自動車育成政策により国内の自動車保有台数が2万台にまで伸びていたにも関わらず、整備が全く追いついていない状況だったのです。

工作機械のメーカーを営む田中清一が高速道路を利用した構想を考えたのは、こうした状況から、遠からず道路を中心とした生活が訪れることを予見したためかもしれません。

episode 02何故、 人類は戦争を繰り返すのか。

昭和12年、日本は日支事変へと突入し、昭和16年には太平洋戦争へと発展。軍部の活動が日に日に拡大していくと、国民の間には不安が徐々に高まっていきました。

「何故、人類は戦争を繰り返すのか」
田中清一は、国が戦争へ向かってしまう状況を憂い、問い続けました。

そして、自分なりの結論を出しました。「人口・食料・資源のアンバランスから、国同士が相互に領土的な野心を起こして縄張り戦争をし、これを繰り返している。総合的な国土計画によって国内の天然資源の開発を計り、食料と資源の完全な自 給自足を達成すれば、侵略行為を防ぎ平和を維持することができるのではないか」・・・・・・と。

episode 03高速道路を利用した、総合国土開発構想

太平洋戦争終結から13日後の昭和20年8月28日、田中清一は東久邇宮稔彦首相に招かれ、問われました。
「日本は焼け野原となってしまった。君は、隧道工場の件で、以前卓抜な意見を聞かせてくれたが、この日本を建て直す何か良い方策を持っていないか」

田中清一は答えます。
「日本の国土は、約80%が山岳高原丘陵地帯です。これを立体的に活用すべきです。それには南は九州の鹿児島から北は北海道の稚内まで、日本を縦貫する高速自動車道を建設すべきです。国土を十分に活用して食料や資源を自給自足できれば、国民の生活範囲が広がり、眠っている資源も掘り起こし、人口が一億人を超えても楽に生活できるのではないでしょうか」

二度と戦争をしないための国土開発。清一の構想は単なる「近代高速道路構想」ではなく「高速道路を利用した総合国土開発構想」だったのです。

episode 04二度と戦争の道を歩んではならぬ。

田中清一は自分の考えを基に日本再建の方策を研究・ 検討し、取りまとめた「平和国家建設・国土計画大綱」を持ち、連合国軍総指令部 (GHQ) のマッカーサー元帥に「日本人を飢えと寒さから救って、それで満足されてはいけません。貴殿の任期中に日本人の子々孫々までアメリカに恩義を感じるようなことをしなさい。それにはこの国土再建案の実現しかないのです」と提言します。

地質・気候など、さまざまな角度から検討された設計による工費の試算はもちろんのこと、交通量や経済効果、償還計画に至るまで説明された画期的な国土計画は、GHQをして 「日本再建のマスタープラン」といわしめました。清一はプランを全国に伝えるため、日本の20万分の1の立体模型を造ることをGHQより命ぜられます。田中清一は息子を従え、昭和22年から約 2年間ジープで全国を精密調査し、私財を投げうって立体模型の作成に取りかかりました。 田中清一のまとめた 「平和国家建設・国土計画大綱」を基にした国土再建案が、GHQによって「田中プラン」と呼ばれ始めたのは、この頃からです。

天皇・皇后両陛下に御説明申し上げる田中清一

天皇・皇后両陛下
昭和24年 GHQ主催により東京日本橋・三越会場で開催された「国土計画展覧会」で
天皇・皇后両陛下に田中プランを御説明申し上げる田中清一

平和国家建設総合国土計画(田中プラン)について力説する田中清一

平和国家建設総合国土計画(田中プラン)について力説する田中清一

国土開発縦貫自動車道の実現に向けて各地で講演会を開催

国土開発縦貫自動車道の実現に向けて各地で講演会を開催した。

各地で講演会を開催し、中央自動車道の5万分の1ふかん図を用いて、その必要性を説明

各地で講演会を開催し、中央自動車道の5万分の1ふかん図を用いて、その必要性を説明した。

中央自動車道予定地の実地踏査

息子にジープを運転させ、中央自動車道予定地の実地踏査を行った。

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